"BirdNerd"#003 ――ミヤマホオジロを求めて里山探鳥再チャレンジ。(2020.2)

 

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上記、"BirdNerd"#001で探索した和歌山は紀北某所の里山。2月上旬の前回は探鳥会で訪れたこの場所に、後日改めて(2月下旬)、息子と二人で再びBirding。

 

目標はわたしたちが未見のミヤマホオジロ。前回もここで見られたホオジロやカシラダカと同じホオジロ科の冬鳥で、黄色と黒のコントラストの強い鮮やかな相貌が魅力的。比較的生息数の少ない野鳥だけれど、和歌山県鳥類目録でもこの場所は観察例があり、今年も見られたとのこと。

 

里山の農道を歩いて、前回と同じように作業中の農家の方に挨拶をしつつ、ジャマにならないように歩く。

 

山あいの土地を利用した農耕地のそばに広がる林。そのなかから、さまざまな鳥たちの鳴き声が聞こえる。

 

しばらく歩いて、手入れのされた林のなかに入ると、息子が素早くヤマガラルリビタキを視認して、一瞬でカメラに収める。ローティーンの動体視力には、四十路の中年男になったわたしは全く敵わない――というのはどうでもよくて、奥の木に息子が黄色い小鳥を見つけたらしい。シルエットや色彩から、ミヤマホオジロのようだったが、結局今回も撮影は叶わず。

 

それでも、先ほど挙げたブルーとイエローが美しいオスのルリビタキや、竹林のなかを動き回るヤマガラのほか、畑を探索するように飛び回るツグミや、“キョッキョッ”と特徴的な鳴き声で驚かされるシロハラなど、身近な冬鳥たちの宝庫である里山風景を今回も堪能した。

 

竹林のヤマガラ。動き回る一瞬を捉えた、10歳の息子の一枚。

 

こちらはルリビタキのオス。青、黄、白のコントラストが美しい。

 

イガグリ。

 

今シーズンはツグミが多い気がする。

 

明るみに出てきてくれたシロハラ。鳴き声はうんざくような、ちょっと小煩いけれど、地味めの色合いといい、姿は上品。

 

ヤマガラやエナガも飛び交い、コゲラの鳴き声も聞こえる林。

 

梅も満開。

 

【当ブログ、これまでの探鳥記録。】

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"BirdNerd"#002 ――杉村公園(和歌山県橋本市)へハシゴ探鳥。(2020.2)


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上記のエントリ、「"BirdNerd"#001 ――和歌山県紀北某所で里山探鳥。」の同日。午前中いっぱいの探鳥会を終え(探鳥会は鳥の出やすい早朝から午前中に行われることが多い)、午後からは長男とふたり、同じ紀北にある杉村公園に向かう。ここは橋本市最大の公園で、毎月定例の探鳥会が行われている場所。わたしたち親子も昨年から、何度か参加していて勝手知ったるポイント。

 

 

ここに、わたしたち親子がいまだ見られていない、ウソの群れがときどき入っているようで、こちらも期待して臨む。――が、こちらも"BirdNerd"#001のミヤマホオジロと同様、見つけることができなかった。同じアトリ科のひとまわり大きい、イカルは集団で飛び交っていたが、ウソは次の機会に、ということに。とちゅう、餌台のかけられた木にはヤマガラが鳴き交わしており、動画を撮ってみるがピントが合わず。シルエットを見て、(こちらもわたしたちが未見の)マヒワかも、と思ったのがいつものカワラヒワだったり、ちょうど開けた路地に出てきてくれたルリビタキを撮ろうとしたらクルマが通ったりと、「当たり」ではなかった午後の探鳥だったけれど、こういうトライ&エラーも鳥見のダイゴ味。「いついってもそこにいる」だったら面白くないじゃん――と、書いてしまいたいところだけど、「いついってもそこにいる」鳥もいたりして、そいつ(失礼)がそこにいる。と思えることが嬉しかったりもする。

 

ヤマガラ。近くに餌台があるおかげでかなり近づいて撮ることができた。人馴れしているのかも。

 

妙なアングルやポーズで撮れているのが意外と愉しかったり。

 

イカルの群れが通るたび、「あ、マヒワか!?」となった一日。(曇り空でもあり、色味があまり見えなかったのもある)

 

カワラヒワを見上げる。

 

エナガの群れ(メジロなどとの混群も)は、目移りしてなかなかうまく撮れない。

 

 

ルリビタキ(ピンぼけ)。このあと後ろからトラックが。

 

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"BirdNerd"#001 ――和歌山県紀北某所で里山探鳥。(2020.2)

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上記のメインブログのサブブログとして、ある程度体裁を整えたかたちの記事ではなく、よりキラクなものを書こう、という趣旨で始めたこの「sotowrite」ですが、なんとなく放置した状態になっていました。ちょうど「ソトブログ」の方が今わたしが子どもたちとハマっているバードウォッチング=鳥見の記事ばかりになって、しかも毎週末のように行っている鳥見行に全然追いついていないというか、その都度の切り口が難しく、なかなかうまく記事としてまとめられていないので、今後、こちらの方で、「鳥バカ日誌」的に、どんどんアップしていきたいと思います。日常的に鳥見をしていると、記録をつけること、それ自体の愉しみ。というのを感じています。このブログも第一には自分のために、日誌としてつけていきたいと思っています。

 

なお、「鳥バカ日誌」というフレーズはバカバカしくもわりと気に入ったのですが、すでに同名や似た名前のサイトもいくつかあるようですので、こちらでは「BirdNerd」としてみました。そのうちに、ブログのタイトルもこれにしてみようかな、などと考えています。

 

2月某日。和歌山県紀北某所の里山で探鳥会。

典型的な里山風景(和歌山県紀北某所)。

 

長男とともに入会している野鳥の会の探鳥会。典型的な里山の一角で、地元でなければなかなか知り得ないし、実際に農作業もされているところなので、こうした会でマナーを守りつつ、鳥見ができる機会というのはとても貴重だと感じる。

 

そしてこの日、ここにはミヤマホオジロが入っているとの情報もあり、期待が膨らむ。――ものの、この日は見られず。けれども同じホオジロ科のカシラダカホオジロ。お馴染みのカラ類ツグミアオジなど里山の小鳥たち。わりと大きなため池もあり、カモたちもたくさん。

  

カシラダカ。

 

ツグミ。

 

アオジ。

 

ハゼの実を食べるジョウビタキ(メス)。

 

広いため池。

 

ホシハジロヒドリガモキンクロハジロマガモなど。

 

当日見られた鳥たち。(2020.2.9)

 

マガモ、カルガモ、ホシハジロ、キンクロハジロ、カイツブリ、キジバト、トビ、モズ、ハシブトガラス、ハシボソガラス、ヤマガラ、シジュウカラ、ヒヨドリ、ウグイス、エナガ、メジロ、シロハラ、ツグミ、ジョウビタキ、イソヒヨドリ、スズメ、キセキレイ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、カワラヒワ、ホオジロ、カシラダカ、アオジ、カワウ、オオバン、イワツバメ、コゲラ、ルリビタキ(計33種)

 

 上述したメインブログでも、野鳥観察について書いています。

 

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野鳥観察 カテゴリーの記事一覧 - ソトブログ

 

撮影には息子とともに、ニコンのコンデジとはいえない(重量)くらいの超望遠コンデジ、Coolpix P900P1000を使っています。

左利き最強の筆記具は実は、サインペンだと思う。

 

以前もうひとつのブログで、「左利きにとってのボーペン選び」について書いたことがある私は今は、とあるきっかけで(水性の)サインペンにハマっている。サインペンを、長文を書くメインの筆記具として使うのだ。たとえば事務仕事で、書類にメモしたり、小さなサイズの手帳に書き込むような用途にはもちろん、向いていない。しかし白いノートにアイデアを自由に書きつけたり、こんなふうなブログや、小説、様々な種類の原稿を、手書きでがしがし書いていくのには素晴らしい。サインペンはかすれることがない。黒く、少し太い字を、抵抗の少ないサラサラした紙の上で、インクの染み込んだペン軸を滑らせて書く心地よさ。

 

いくつも試したなかで、私が今のところいちばん好きなのは、三菱鉛筆のサインペン、「リブ(毛筆タッチ)」(型番:MYT-7)。くっきりと黒く、しかし比較的細く書ける。ペン先のキャップを外してアタマの方に挿し直したときの、重さのバランスのよさ。

 

サインペンは文具メーカー各社が出しているが、どれも安い、というのもいい。ペンの構造上、「高級サインペン」というものが成りたないところがいい。手許に常にストックしておいて、どんどん使い尽くしていく気持ちよさ。

 

左利き最強の筆記具は実は、サインペンだと思う。

 

三菱鉛筆 水性サインペン リブ MYT-7 黒 24

三菱鉛筆 水性サインペン リブ MYT-7 黒 24

 
三菱鉛筆 水性ペン リブ 細字 MYT7.24 黒 10本

三菱鉛筆 水性ペン リブ 細字 MYT7.24 黒 10本

 

手書きで文章を書く面白さは、頭のなかで考えていることに、書く速さが追いつかないことにある。

 

手書きで文章を書く面白さは、頭のなかで考えていることに、書く速さが追いつかないことにある。だからキーボードで文字を叩くときとは、書く文章の質が変わってくる。考えている量よりも、書かれるテキストの量はぐんと少なくなる。

 

――ということはつまり、テキストの密度は高くなる? 実は逆で、目が粗くなる。だからいいのだ。今のところは精緻なコトバで説明できないけれど。ちなみにこうして手書きで書くときに、センテンスの先がどうなるか考えるまえに、一定の速度で手を動かしつづけるという方法もある。そうすることで手よりも速く回転していたハズのいつのまにか手の動きよりも遅れて出てくる感覚が味わえる。そのときに訪れるある種の快感が私は好きだ。

 

そんなことを、私はこうして書くまで考えなかった。

 

ぺんてる サインペン 5本パック XS520AD5 黒

ぺんてる サインペン 5本パック XS520AD5 黒

 

 最近あらためて好きになった、ぺんてるのサインペン。

読んでいるのは私なのに、私ひとりなのに、だれに、というのではなく、言い訳したい気持ちになった。

 

読みかけの本を開く、とりわけ久しぶり、数ヶ月ぶりにまた読み始める、というときに、私はいつだって、そこまで読んだ話を、登場人物を、彼ら彼女らの行動、その足跡を、つまりはあらすじを忘れているのだけれど、忘れているのはディテールであって、実はやっぱり「あらすじ」ではない。

 

読みさしの本を、そうやって忘れてしまっている本の続きを読むときの習い性で、今も私はそう思った。

 

とりわけめくるめく話の主体の入れ替わる群像劇で、そこまでのテキストを忘却してしまっていては、今読んでいる箇所の理解も追いつかない。でもガマンして――そう、読書にはガマンが大切なのだ――読み進めていると、ゴホウビのように感動が、エモーションが訪れる。

 

エモーショナルな話なのではない。そんな小説が好きなんじゃない。

 

読んでいるのは私なのに、私ひとりなのに、だれに、というのではなく、言い訳したい気持ちになった。この本を書いた小説家に、もしかしたらこの本自体にかも。

 

問いのない答え (文春文庫)

問いのない答え (文春文庫)

 

ただ書いていたいから。ただ読んでみたいから。

 

何か対象について、腰をすえて書くのではなく、ただ、書きたいから、指を動かしてキーボードを叩いていたいから、という理由でこのサブブログを始めてみたものの、――メインのブログを1年続けたせいなのか、読む方でもそういう文章ばかり享受してしまっているからなのか、自分でも気がつかないうちに、「対象について」書く、ということにすっかり慣れてしまっていて、結局こちらの、キラクに書くはずのブログ「sotowrite」のほうこそ書けずに1ヶ月放置してしまうことになってしまいました。

 

――そんな折、ひさしぶりの友人からメール(LINE)が来たので少しのやりとりのなかで、自分でも思いもよらず書いた以下のテキスト――、

 

(以下の引用はわたしが表紙デザインを担当させてもらった、『アカウントを持って街へ出よう Chromebookとの365日』という電子書籍と、それを書かれた鈴木章史さんについて、友人がおそらくコンピュータにもChromebookにも関心がないだろうことを知りつつ、私が紹介したところ、何故か彼女が興味を持ってくれて、読んでくれるというので、こちらとしてもちょっとエモくなってしまって書いた文面です。)

 

ふつうのコンピュータやガジェットのオタク、ギーク的な人のそれと違って、鈴木さんの文章からは、すごく個人的なエモーションを感じるんですよ。文学的な細部とか、感情のひだというかね。だから結局、僕がこれまで好きなものとおんなじなんですけど。

 

✕✕さんがプリミ恥部さんから受け取っているものもそういうものなのかな、と勝手に思ったりしました。デプレシャンの映画(※友人の大好きな、そして教えてもらって観た私も好きな映画監督、アルノー・デプレシャン)でもそうで、内心と行動がずれていたり、当然描かれていそうなことが描かれていなくて、はたから見ればくだらないことに拘泥していたり、そういうものにこだわって表現するのでなければ、個人が個人として言葉をつむいだり、発信したりする意味はないんじゃないかな、といつも思っているので、自分の文章がそうなっているかはともかく、そういうものを読んだり、観たり、聴いたり、体験したりしたいですよね。

 

「何故か興味を持ってくれて」とわたしは書きましたが、彼女がそういうふうに思考するかもしれないことはこれまでの付き合いから期待はしていたのです。けれどそういうふうな関心の持ち方があるということは、あまり巷間でひろく語られることはありません。そしてわたしはこの文章でも、ちょっとまとめすぎというか、自分の納得できうる思考の型にはめてしまっている気がするのだけれど、でもだいたいいつもこんなことを考えています。

 

アカウントを持って街へ出よう Chromebookとの365日

アカウントを持って街へ出よう Chromebookとの365日

 

 

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わたしにとっての「不可能作戦」――『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』のこと。

 

『ミッション:インポッシブル』シリーズの、イーサン・ハント(トム・クルーズ)にミッションが伝えられるシーンが苦手だ。


嫌いなのではない。頭に入ってこないのだ。


『ミッション:インポッシブル』では、毎度、さまざまな趣向を凝らしたガジェットを通してミッションが伝えられるけれど、それがあまりに興味深いので、その視覚的な面白さに目がいってしまって、耳の方がおろそかになる。
それでなくてもこの場面は、ミッションが言葉で伝えられるだけだから、英語のリスニング能力のないわたしにここで課されているのは「映画を観る」ことではなくて「字幕を読むこと」なのだ。
しかし映画の方は、ここがそういう「説明のための説明」の場面であることを承知しているから、ガジェットのギミックでわたしたち観客の気を惹こうとする。


つまり、端から無理筋なのだ、わたしが一発で『ミッション:インポッシブル』のミッションを理解するのは。


自宅でDVDや動画配信で観ているときはまだいい。うっかり画面に見とれてレコード・プレイヤーやホログラム、公衆電話やテープレコーダー(※この例そのものもうろ覚え)といった、様々な方法で凄腕エージェント、イーサン・ハントに伝えられる作戦の内容を把握できなくても、何回も巻き戻して読み返すことができる。劇場となるとそうはいかない。しかし、ここを逃すと先のストーリーの理解に影響するのだ。
ということはわかっていたはずだけれど、やっぱり今回もわたしは迂闊だった。


だからわたしがどんなに偉そうに、気の利いたことを書いているように見えたとしても、わたしはそもそも、イーサン・ハントに伝えられたミッションを、なんとなくしか理解していないのだった。

 

(と、偉そうに書くことではありませんね。)

 

そんなわたしが書いた、『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』の感想がこちらです。

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